Wednesday, April 27, 2011

津波にさらわれたバイクは復活しないと言う。


メーカーはもちろん、バイク屋も、誰もがそう言う。分解しながら作業を進めていると
みんながそう言うのがよくわかる。









精密なFCRは泥で全く動かなくなっていた。


クランクケースの中には洗っても洗っても粘土みたいな泥の微粒子が入り込んでいるし
配線のうちバッテリーのプラス電源が繋がっていたところは全て激しく腐食している。


歯車という歯車は点々と赤いサビが浮いて来ている。



バネのたぐいもサビの餌食。
メーターの中、スイッチボックスの中、フォークブーツの中、
ステアリングヘッドパイプの中
シートの中、ウィンカーの中
テールランプの中、
そしてワイヤー類の中、
全てに塩水とヘドロの泥が強烈な水圧で注入されて、びっしり詰まっている。
キャブレターでは塩が結晶化しているが、なめても塩辛くない、にがりみたいな状態。
そして塩水に浸かった部分は激しく腐食が進んでいる。
通常なら新品に交換するしかないだろう。

塩ヘドロがびっしり

普通の仕事では絶対元が取れない。

その上、津波の塩がもとでいつかまた不具合が起きるかもしれない。
とてもプロの仕事としては商売にならない。

例えば、スピードメーターは非分解の部分までバラして塩水と泥を取り除き、
バネのサビを磨き取り、
オドメーターの隙間に詰まった泥を取り、
水と油で歯車を洗浄して、動作を確認して、
よく乾燥させて組み立てる。
これだけで半日かかってしまう。

自分はこういう作業がそれほど苦にならない。
ガラスの内側までヘドロが詰まって動かなかったメーターが、また速度と距離を刻みだすと、愛おしささえ覚えてしまう。

果てしない作業のようだが、それでもコツコツ進めればいつかは終わりがくる。
今週中には1台が完成する予定。
もうエンジンの試運転も済んだし、電装品の動作も確認した。
あとは新品のガスケットで組み立て直して、
連休には持って行きますからね。

Tuesday, April 26, 2011

さらばポルシェ

以前ポルシェのトラクターの事を書いてあるブログの記事を載せたことがあった
http://oba-shima.mito-city.com/2010/07/20/porschezokuhou/

http://oba-shima.mito-city.com/2010/12/17/porschetcr1/#more-6325

写真 : UKY


この写真のヰセキTB-23というポルシェ型のトラクターが置いてあった店も気仙沼にあった。

先日気仙沼市に行った時、ポルシェはどうしてるかと思い、友人に連れて行ってもらった。

店は土台だけになっており、あのきれいなトラクタはノーズだけになっていた。








Friday, April 22, 2011

EVO sportster kick start

http://www.ledsledcustoms.com/vblog.asp

これは欲しい!
取り付け大変なのかな?
情報のある方、教えて下さい。
僕も探してみます!
Where can I get this?

武田ネットより引用 大人は子供たちを被ばくさせたがっている・・・




自分はたった5分外に出るのにも完全防備でマスクもN100を絶対外さない。
問題ないとか直ちに健康に影響を与えないって言って
それを信じた人たちが住んでいるところに行く態度と姿勢じゃないだろう
だいたい最後に出てる現地の人は普通の帽子にマスクしてるし。


今どのくらい放射性物質が出ているのか?
今日はどのあたりが危ないのか?
明日はどこに飛ぶ可能性があるのか
そういう情報がないと子供や若い女の人はみんな普通のカッコして外歩いてるんだ。
一瞬来るだけの自分がこんな完全防御して、それだけ危険ってことじゃないの??

武田先生の引用をします
http://takedanet.com/2011/04/post_faf5.html
以下引用


●「雄々しく放射線に立ち向かう」というのが立派なことだろうか?

 なにか戦前を思わせる.放射線が人体に害があるというのは国民的コンセンサスなのに、なぜ急変して「我が身を放射線に曝すのが格好いい」となり、「ついでに子供も被ばくさせてしまえ」という自爆主義は許されるのだろうか?

●60の爺さんが「大丈夫」とパフォーマンスをして、その野菜を子供が食べるというのはどういう意味があるのだろうか?
現在のように全体的に汚染されているときには、思い切って汚染地域の農作物は捨てるのが正しい。無理して放射性物質を含む野菜を食べなくても良いのに、なぜ出荷するのだろうか?

●なぜ、給食に地産地消を強調するのだろうか?

子供は給食を拒否できない.拒否できないものに放射性物質を使うのは許されない.食を供給する人は「上司」の命令を聞いてはいけない.単純に子供の健康だけを考えることができる。栄養士は「専門職」である。上司はいない。栄養士の人、立ち上がってください!

●福島が汚染されたのは福島の人の責任だろうか?
福島の人は「福島が汚染された」と言われるのをいやがる。でも、福島を汚したのは福島人ではないのに、なぜいやがるのだろうか?
福島市を汚したのは国と東電なのに.

●東電のミスを福島の子供に転嫁するのは正しいのだろうか?
福島県は福島の子供を避難させない。これは「東電のミスを福島の子供の被ばくで贖う」ということだ。福島の親がそれで良いというなら仕方が無いが、放射線は子供や若い女性に厳しい。私は可哀想に思う.

●被ばくしている児童生徒を疎開させるのは面倒なのだろうか?

文科省は子供に20ミリという高い放射線をあびさせている。疎開させれば無事なのに、なぜ子供達を被ばくさせたいのだろうか?まるで戦時中の竹槍精神を思い起こす.先生方、立ち上がってください!

●東電のミスで汚染された食材を消費者に転嫁するのが魂のある農業だろうか?

農家こそ、「消費者が安心して食べることができる食」を提供してきたのではないか。今後も農薬が付いていても「基準以下」なら出荷するのか? 無農薬とか言っていたあれは何だったのか? 
農家の方、立ち上がってください!

●なぜ、福島の大人は子供を被ばくさせたいのか?

なぜ、福島の大人は子供を疎開させないで被ばくさせたいのだろうか? なぜ、安全委員会でも10ミリまでと言っているのを20ミリも被ばくさせるのだろうか? 保護者とはそんなに子供に権利があるのだろうか?

●放射線に高いところの人はなぜ、避難しないのだろうか?

放射線の障害は20年かかる遅発性が多い.一生に一度しかないのだから数ヶ月でも避難すれば良いのに。

  なぜ、突然、放射線が安全になったのだろうか?

今までの放射線の法規制、専門家の意見はいったい何だったのか? 「ちょっとでも危険な放射線」と言っていた専門家は、なにが変わって「いくらでも良い放射線」に豹変したのだろうか?
(平成23420日 午後8時 執筆)

武田邦彦

Wednesday, April 20, 2011

100%寄付


http://www.hobo.jp/index.html
もうかれこれ20年の付き合いになる友達兄弟がやってるブランドで
実際に作ってるのは弟なんだけど、アニキはアイデア担当。
いつも新しい商品が出来そうになると「おいおい、俺って天才だぜ、こんなすごいの思いついちゃったぜ、ちょっと見に来いよ〜」って電話が来る。
いわゆるガレージブランドでこれはいける、ってものを考えつくと、まずミシンを踏んで試作、テストを繰り返して量産ができると決まったら、外部の工場へ量産を委託しているそうだ。

特注で仕事用の機材バッグやキャリングケースを作ってもらったこともある。
プロ用10インチモニターケースはもう10年以上になるけど、ついこないだ液晶モニタに取って代わるまで、過酷な海外ロケを戦い抜き、現役で使われていた。

その彼らが今回の東日本大震災にあたって取った行動がこの100%

よく「収益の○%を寄付します」って宣伝文句(宣伝だよね)を見かけるが
ここは100%
利益の100%を震災の救援、復興の為に寄付するって言う。
よく見たら利益じゃなくて売り上げの100%だって

このたびの事態を受けましてサイトウデザインではチャリティセールを行ないます。
まずは当面の間、HOBO通販ページの売り上げの100%を義援金として使わせていただきます。 
私たちに出来ることは本当に微力ですが、被災者の救済と被災地の一日も早い復興のために行動したいと思います。何卒ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。

100%はなかなか出来ることじゃないぜ、ということでチェストバッグ買いました。

tsunami motor cycle

このバイクは下の部屋から発掘された
元は玄関前の物置に入れてあったのだが、この部屋まで流されて
建材や建具、材木に埋もれて2週間発見されなかった
床をよく見ると漂着した生魚が堆積している。
この時点で震災から3週間
触るだけで表面が剝けるくらい腐っている。


頭を落としたカジキが何本も流れてきていた。
津波の時は冷凍されていたので
仏壇に突き刺さっているものもあった。
ざっと洗車してからサイドカバーを開けると、中には砂がびっしり
よく見るとここにも魚が。
このバイクから小さな魚が2匹出てきた。



CRMのシート下からも砂とヘドロが。
高価なPGMがどうなっているのか心配だ。

スポークに付いているのは断熱材のグラスウール
このガラス製の綿もあらゆるところから出てきた。

こちらはWR
ワカメが付いている。

少し場所は違うが、この車両の停まっていた場所は、この写真のように家々の土台まで流されてしまった地帯になる。

多くの車や家財は引き波で沖合いに持っていかれてしまっていたが
こういう荒涼とした地帯に半ば埋もれるようにして本当に奇跡的に発見された。



バッテリーのプラス側に著しいサビと腐食が見られる。
配線は根元まで一本まるごと真っ黒に腐ってしまう。


電気的に腐食するのか、カニの穴みたいな泡が発生して
マフラーには無数の穴が開いている。




プラグを外してみた。
続く

Wednesday, April 13, 2011

津波に飲まれたが、奇跡的に発見されたバイク。
1台は瓦礫の下敷きに、もう1台は台所から発見された。
畳や建具、ガラス混じりのヘドロの下に埋まって目と鼻の先にありながら
2週間も見つからなかった。
もともときれいではなかったけど、でも思い出だらけの
最高なバイクなんだ。
この2台はどこの誰に聞いても再生は不能と言われた。
「海水に完全水没してしまったバイクは直らない」これが通説になっているという。
ダメならダメで、どこがどうダメなのか
どうして再生できないのか、クランクのベアリングまで交換しても
修理は出来ないのか?
どうしても納得できなくて、この2台は東京に連れて帰ってきた。
帰ってすぐドレンを開けると
海水まじりのオイルがドバドバと出てきた。
分解まで少しでもサビの進行を止めるために
中を真水でじゃぶじゃぶ洗って
灯油で流して最後にオイルで満たした。
つづく

近況2

途中の東北道は地盤が動いた結果たいへんなうねりで
車が大きくバウンドする地点が何カ所もあった。
朝4時に志波姫PAで2時間仮眠をとり、8時頃に気仙沼市に入り、友達の家に着いた。
高台から自宅まで電話で誘導してくれた友達の無事な姿を見ると、もうそれだけで目頭が熱くなって、なにかしゃべると声が詰まりそうになる。

野菜や卵、頼まれた物を届けて休憩させてもらう。
生まれたばかりと思っていた息子はもう7ヶ月になっていた。
おしゃまでかわいい上の女の子はとても愛想良く「どうぞ」と様々なものをサービスしてくれる。

案内役を買って出てくれた友達に窮屈な後部シートに乗り込んでもらい、松岩方面に向かう。

瓦礫に覆い尽くされて、自動車が走れる道路はまだ少ない上、罹災証明や失業保健、その他いろいろな手続きを取るため役場に向かう人と車が集中するため道路は大変な混雑。
街の惨状に言葉を失う。

この状況を自分が持ってきた小さなカメラに収めてよいのか?
自分が撮るとしたら状況がよりよくわかるよう、角度や背景を工夫してしまう。
そこに演出が介在してしまうことに抵抗があった。

写真を撮る意味を考える。
自分で見るため、取って置くため、現地に来れなかったけど協力してくれた友達に見せるため、災害の怖さを人に伝えるため、いろんな大義名分はあるけど、結局撮りたいから撮るのではないか?
自分は普段、映像を制作する仕事、演出をしている。
企画を考えて、ストーリーを作って
たくさんの映像を撮影して、
それを見栄え良く組み合わせて、気の利いた音楽を組み合わせると
これがひとつの作品、いや商品になる。
そもそも金で買われた映像だから作る人に都合の悪いことは含まれていないし、口当たりのいいことだけをまとめてある。

効果的に見えるアングルを工夫し、ナレーションを考え、時にセンセーショナルに情感に訴える。

被災地という現場を前にして、自分がそれらを撮っていいのか?
もしもカメラを持っていけば
「いいのが撮れた」「このカットは迫力がある」などと考えてしまうに決まっている。
津波で崩された友達の家をそんな視点から見ていいのか。
絶えず自分に問いかけることになった。

Tuesday, April 12, 2011

近況

事後報告になってしまいましたが、JOINTSへの出展を見送りしました。
鋳物に協力を頂いている方や一緒に出展する方にも大変ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした。
身内が茨城、岩手で被災しましたが、幸い命に別状はありませんでした。
全国に蔓延した自粛ムードに迎合して自粛したという訳ではなく、

4月3日から10日までの間、僕は宮城県にいました。
気仙沼市には、僕の古くからの友達がたくさん住んでいて、今回の地震と津波で大きな被害を受けました。
彼らは家や車を失い、仕事や仕事場を失い、大切な家族や親戚を失いました。
震災から3週間が過ぎても電気やガス、水道が止まり不自由な暮らしを強いられていました。
現地の仲間達からのリクエストに可能な限り応えられるように、関東や長野、岐阜、沖縄その他いろいろな場所の仲間達が石油ストーブやガス、サイズの大きな靴、作業服や長靴、薬品や新鮮な野菜と牛乳、卵を手配してくれました。

自分たちも茨城県で地震に遭い、家や建物に大きな被害を受けた友人も、たくさんの野菜や農作物を途中のパーキングエリアまで届けてくれました。
金曜の夜、先発隊が物資を半分持って出発し日曜に帰京、入れ替わりに
ドラム缶と専用のポンプを積んだ僕は友人と2人、トラックで現地に向かいました。

Friday, April 1, 2011

関東各地の環境放射能水準の可視化

http://microsievert.net/
関東各地で今のどのくらい降ってるか
目で見えます。

でも地面にも落ちているし、
空気中にも漂ってるし
食べ物、飲み物にも混ざってるから
身体に入る分はもっと多い。